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デトロイトへの招待状5

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翌日、デトロイト最後の日。
タリホのママとパパが私たちを教会へ連れて行ってくれた。
そこは私たちが普通思い描く、あの尖塔のある石造りの荘厳な建物ではなく、なんのへんてつもない学校のような場所だった。
昨日結婚式がおこなわれた場所は、やはり結婚式用に借りた特別な教会であって、いつもの教会はこっちなのだという。
わたしとしては、建物の空気感などがそれらしいと ”神様っているかも〜、、えへ。” なんて思えてきてしまいそうだし、音楽も神父さんの声も素敵に感じるのになぁなんて思うのだけれど、そんなのは邪道の極み、思考も信念もゆるみきった人間の考えで、心から信じている人たちには何も必要ないってことなのかもしれない。
神父さんの話は、もはや宗教講義で大学にでもはいりこんでしまったような錯覚を覚えた。
さらに、衰えまくっているこの英語力をもってして、まったく太刀打ちできない彼のまくしたてる早口のうえ専門用語ばんばんでてくる聞き取るのも無理、単語もわからないなにもわからないちんぷんかんぷんのこの状態。。

母はすでに寝ていた。。

わたしもはなからあきらめモードだったのだけど、となりに座っていたパパ(デレク)が要約して教えてくれた。
それでわたしもいろいろ質問したりして、興味深い時間をすごすことができた。
それは、聖書の読み方についての講義だったようだ。
そのまま読んでも特に意味は得られない、言葉に隠された本当の意味についてよく考えなさいと言っていた。読み方にもいろいろなパターンがあるので、それについてもひとつひとつ説明がなされていた。
デレクは執拗に「つまりはシンボリックなんだ」と言い続けていた。
「結婚」・・・
それについても同じであると、彼は昨日も言っていた。

「シンボリック」という言葉がこの場合どういう意味になるのか、よくわからなかった。

デレクは根気よく、何度も、何度も説明してくれたのだけど、わたしにはぼんやりとしか形を成さず。
そして、いくらかみくだいて説明されても、それを本当に理解することは不可能なのだということにも、わたしはうすうす気づいていた。

わたしにはできない。
”何かを心から信じている人”に、わたしはもともと異様な関心があり、尊敬もし、あこがれる気持ちも持っている。
だから人と宗教の話をすることが、とても好きだ。

数あるガイドブックには、その土地土地で宗教の話はしないほうがよい、タブーであるなどと書かれているが、わたしはする。
進んでする。
”信じる”ということは、そうなまやさしいことではない。全身全霊をかけてやらなければならない。いや、そう大げさなことでもないかもしれないが、すくなくとも半身半霊くらいはかけねばならぬ。。
つまりは、その人自身が多分に入っていることなのだ。
考え方、感じ方、好みや愛情のかけかた、、それはもう生き方ということだろう。


わたしの中のルールはただひとつ。
”否定をしない”
ということ。

それさえ守れば、まず問題になることはない。
みんな自分の信じているものの話は進んでしてくれる。
なぜならそれは好きなものなのだから。


わたしはデトロイトまで来て、彼らとそういう話を真剣にできたことをとても幸せに思った。


理解できなくても、いい。

きっと”何かを知る””それがあることを知る”っていうことが、とても重要なんだと思う。



長い講義を終えて、母も起きた。
私たちはタリホの家にお昼を食べに行くことにした。








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by galwaygirl | 2012-11-09 22:40 | 旅日記
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