「ほっ」と。キャンペーン

謹賀新年

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明けまして、おめでとうございます。


ってあっというまに1週間すぎましたね。。
芥川賞、直木賞候補が発表され、同僚と、
「あれ、ついこのあいだ前回の発表あったよね、、。え、ワープ??」といぶかしんでしまいました。

今年は情熱を持って、仕事も遊びもプライベートもこなしていきたいと思っております。
燃えろ、わたし。


ということで、本年もよろしくお願い致します。
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# by galwaygirl | 2013-01-07 23:45 | 日常の旅日記

師走





さて、
今年ももう終わりです。

昨年と同じく大そうじ、終わっていませんが
変わらずよしとします。


年末、ひとつさびしいおしらせをしなければなりません。

12年間、家族とともに過ごし、野菜がきらいで、クッキーが好きで、犬にも猫にも動じず、うちのすべての動物から恐れられている”子ども”笑奈をあごで使い、(あごをくいくいっとやってクッキーをもらう。)
最後の最後まで生きる意欲を失わなかった、、ハチミツ色のうさぎ、ハニーが天に召されました。

年末、ふとしたことで足を折ってしまい、病院に連れて行きましたが完治は難しいとのことでした。(歳が歳なので)
それでも、食べさせてあげると一生懸命食べ、一時はだいぶ元気にもなってこれは持ち直すのではないか、、と家族一同期待しました。
ですが、24日の朝、だんだん動かなくなり呼吸もゆっくりになって、母の手の中でゆっくり最後のひと息を終えました。

からっぽのゲージを今日、片付けようと思いました。
でも、なんだか腰が重くなってしまって。
まだ今もそのままあります。
でも、やっぱり片付けなくちゃ。

そんな年越し。
そうだな、ありがとうとごめんねはたくさん言いたいかな。


少しぐちゃぐちゃしてくると、見るPVを最後にのせます。
何にも染まりすぎるのがいやなので、フラットにもどすためにときどき見ます。
今年はこれでおしまい。
来年も、よい雰囲気で忙しくなりそうなので、びゅんびゅん過ぎていきそうです。
来年はどんな年になるのかなって、ぼんやり考えるのも年末の楽しみだなぁ。

それにしても、アイスランドは寒そうだ。
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# by galwaygirl | 2012-12-29 18:25 | 日常の旅日記

デトロイトへの招待状7

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さあ、あとはもうおみやげ買って帰るだけ〜


上はシカゴ劇場。
鑑賞する時間はとれず、外から写真を撮るのみとなりました。
けど、わたしのイメージするシカゴってこういう感じ、、。もろですね、、。

みやげといってもね〜、、アメリカにあるものはたいてい日本にもあるんだってばさ。
こまったこまった。
正直みやげものを探しまわるのが全然好きじゃなく、
いいものがあったら買うくらいのものなんだけど、そんななかひとりで盛り上がったのはこの方がいらっしゃるこちら。

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はい〜、みんなのアイドル 
スーさんです!

シカゴにあるフィールド自然史博物館。
展示も盛りだくさんで、アメリカのことだけじゃなく、世界中の民族史や自然史にふれられる、とても内容の濃い博物館でした。
しかるにミュージアムショップも濃い。
ネイティブアメリカンの料理本やアクセサリー、シカゴブルースのCD、なぜかメキシコのカラフルな小物や、スーさんのぬいぐるみまで!
あらゆるおもしろいものがありました。

夢中で買い物して、気付けばカゴいっぱい。
あれはたのしかったわー。

自分に買ったのはこちらです。
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・「イリノイ州の虫と蜘蛛の図鑑」
虫が好きなわけじゃないんだけど、図鑑が好きなんです。それにしても蜘蛛はinsectsとは言わないんだね。日本は普通に昆虫図鑑でまとめられてる気がしますけど。
・「グアダルーペの聖母 アートと伝説」
今回はキリストのことをよく考えた旅だったので、つながりで、、、。しかし第一印象だけで買ったらメキシコのものでしたのね、、、。
・毒毒しいことこのうえないきのこマグ。
ひとめ見て目がはなせなくなったので。

そしてこちらもひとめ見て釘づけになったやつ。
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ダリの指人形。

、、、、、、、、、、、、、、、ダリ!?


とつい買ってしまいましたが、こちらもまったくアメリカに関係ないですね、、。


まあ、旅の買い物は90%がノリですから。
よしとしてください。



空港へむかうタクシーの中
シカゴの町並みが窓の外を流れていた。
白黒写真が似合いそうな、ちょっと冷たげな風景。
頭の中でずっとマイルスデイビスのRound Midnightが流れていた。
なんて月並みな想像力かと笑いたくなったけど、たぶんあれだ。
最後に泊まったホテルが、ひとむかし前のハリウッド映画に出てくるみたいなドアマンのいるホテルで、そのドアマンが絵に描いたような陽気な黒人だったからだ。

意味なんてない。
ただ流れていくだけ。
それをただ見てるだけ。


日本に帰って今、
あのひたひたした冷たさと不思議なやさしさを持った街と、郊外の温かい家族たちを思い出す。
行って帰って、行って帰って
そのくりかえし。
そのくりかえしがちょうどいいのだ。


いつか、タリホに10人子供ができたら、また行こう。
10人の子供にかこまれて、てんやわんやと、でもおんなじ笑顔で笑ってるタリホとサミュエルに会いに。






END
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# by galwaygirl | 2012-12-19 21:10 | 旅日記

デトロイトへの招待状6

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タリホの家には真っ赤なハープシコードがあった。
それだけではなく、チェロ、バイオリン、ギターに、フルート、バンジョー、なんとバウロンまであった。(アイルランドのまるい太鼓)
家族全員が音楽が好きで、食後にみんなでセッションしたりするのだという。


なんて、なんて理想的なんだろう、、
と思うと同時に、ほんとか?!という疑問ももちあがってくる。
私の中で家族って、もちろんなくてはならない存在と同時にめんどくさく、恥ずかしい存在なのだと思う。なぜならそれがまっとうな思春期をくぐりぬけてきた人たちが感じると思われる、家族への愛だからだ。
いくら国が違うからといって、年頃の男の子たちが進んで家族とセッションをするというのだろうか、、。




否、するのである。。


まったく仰天だ、彼らは多少はにかみながらも、楽器を手にとり演奏し始めた。
私はケーキを食べ、パパが淹れてくれたコーヒーを飲みながら、どこまでも音楽を堪能したのである。お客をもてなすということは、本来こういうことなのかもしれないとふと思った。
もちろん、音楽をかきならす必要はないのだけれど、手作りのごはん、きちんと淹れたコーヒー、あたたかい演技。
人の手から、体から直接歓迎されている気がした。

いったいそういう経験ていうのは、忘れられないものだ。


一生のうち、いったい何回そんな忘れられない経験があるというのだろう。
数えるほどかもしれない。

でも、それでも一度でもそういう経験ができたことを、本当に幸せに思った。

ふと見るとママは台所とリビングを行ったりきたりしながら、でも忙しそうじゃなく、どこかゆったり笑っていてふと演奏に参加してみたり、、子どもたち3人はパパに従いつつ、それぞれ好きな楽器を手にとりどこか得意げでもある。でも何より一番得意げなのはパパで、家族に誇りを持っているのがよく感じられた。
そして、タリホはハネムーンだ。
家は、タリホの不在を主張しつつ、どこかみんなそれは自然なことなんだと納得させるようにすべてが動いていた。とどこおりもなく。

こじんまりした庭では、木のブランコが風にゆれていた。
わたしは、”ここにいた”という記憶をしっかりと持ち帰るために、ずいぶん長い間それを見ていた。


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そしてわたしたちは、なんどもありがとうとさよならをくり返して、シカゴ行きのバスに乗った。
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# by galwaygirl | 2012-11-30 00:49 | 旅日記

デトロイトへの招待状5

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翌日、デトロイト最後の日。
タリホのママとパパが私たちを教会へ連れて行ってくれた。
そこは私たちが普通思い描く、あの尖塔のある石造りの荘厳な建物ではなく、なんのへんてつもない学校のような場所だった。
昨日結婚式がおこなわれた場所は、やはり結婚式用に借りた特別な教会であって、いつもの教会はこっちなのだという。
わたしとしては、建物の空気感などがそれらしいと ”神様っているかも〜、、えへ。” なんて思えてきてしまいそうだし、音楽も神父さんの声も素敵に感じるのになぁなんて思うのだけれど、そんなのは邪道の極み、思考も信念もゆるみきった人間の考えで、心から信じている人たちには何も必要ないってことなのかもしれない。
神父さんの話は、もはや宗教講義で大学にでもはいりこんでしまったような錯覚を覚えた。
さらに、衰えまくっているこの英語力をもってして、まったく太刀打ちできない彼のまくしたてる早口のうえ専門用語ばんばんでてくる聞き取るのも無理、単語もわからないなにもわからないちんぷんかんぷんのこの状態。。

母はすでに寝ていた。。

わたしもはなからあきらめモードだったのだけど、となりに座っていたパパ(デレク)が要約して教えてくれた。
それでわたしもいろいろ質問したりして、興味深い時間をすごすことができた。
それは、聖書の読み方についての講義だったようだ。
そのまま読んでも特に意味は得られない、言葉に隠された本当の意味についてよく考えなさいと言っていた。読み方にもいろいろなパターンがあるので、それについてもひとつひとつ説明がなされていた。
デレクは執拗に「つまりはシンボリックなんだ」と言い続けていた。
「結婚」・・・
それについても同じであると、彼は昨日も言っていた。

「シンボリック」という言葉がこの場合どういう意味になるのか、よくわからなかった。

デレクは根気よく、何度も、何度も説明してくれたのだけど、わたしにはぼんやりとしか形を成さず。
そして、いくらかみくだいて説明されても、それを本当に理解することは不可能なのだということにも、わたしはうすうす気づいていた。

わたしにはできない。
”何かを心から信じている人”に、わたしはもともと異様な関心があり、尊敬もし、あこがれる気持ちも持っている。
だから人と宗教の話をすることが、とても好きだ。

数あるガイドブックには、その土地土地で宗教の話はしないほうがよい、タブーであるなどと書かれているが、わたしはする。
進んでする。
”信じる”ということは、そうなまやさしいことではない。全身全霊をかけてやらなければならない。いや、そう大げさなことでもないかもしれないが、すくなくとも半身半霊くらいはかけねばならぬ。。
つまりは、その人自身が多分に入っていることなのだ。
考え方、感じ方、好みや愛情のかけかた、、それはもう生き方ということだろう。


わたしの中のルールはただひとつ。
”否定をしない”
ということ。

それさえ守れば、まず問題になることはない。
みんな自分の信じているものの話は進んでしてくれる。
なぜならそれは好きなものなのだから。


わたしはデトロイトまで来て、彼らとそういう話を真剣にできたことをとても幸せに思った。


理解できなくても、いい。

きっと”何かを知る””それがあることを知る”っていうことが、とても重要なんだと思う。



長い講義を終えて、母も起きた。
私たちはタリホの家にお昼を食べに行くことにした。








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# by galwaygirl | 2012-11-09 22:40 | 旅日記